父からの最後の手紙

12月10日

 前便を書いてから早や1カ月になりました。発送する機会がなくて手元にあり、船も当地クエゼリンに着いております。その中で先日大本営からも、発表のありました12月5日のマーシャル群島敵機100機の来襲を受け、不幸本船も機関室横に大穴をあけられ、たちまち汽缶室、汽機室も満水し、将に沈むか沈まんかの堺堺迄行きましたが、沈没だけはまぬがれ、浮いていることは浮いています。自力航行は不可能で立往生とは正に此の事でせう。
 他の被害船も相当あり、本船の修理にかかるのは相当後のことでせうし、それにまだ荷物を一杯積んでいるので、それを揚げるのにまた相当の日数がかかりそうです。現在は手まきでやっている格好ですからね。 当地は先日ギルバート方面敵の来襲以来、もう第一線となり毎日空爆の不安にさらされています。

 覚悟は充分出来ております。家の方の心配もなし、只、子達の身体を丈夫にしてよく勉強し偉くなる様に云ってください。芳子も体に気をつけて、いかなることがあっても倒れぬ様に、しっかりと、しっかりと。

 芳子へ            興市  (栄興丸船長土井興市)


届かなかった手紙


ご主人様へ


  型さえ見知らぬ御船待ちわびて

         日毎沖をば眺めくらしぬ

 10日程前迄はお帰り近きものと、毎日お待ち申し上げておりましたが、椿様がおたずね下さり、12月10日付のお便り拝見致しまして、引続き毎日の新聞記事を読みます時、生やさしい気持ちでお待ち申し上げておりました事が、むしろ申訳ない位でございました。
 昨年12月、又今年1月以来見つづけました不吉な夢が正夢となり、きっと御食事にさえ御不自由遊ばしていらっしゃる事と、胸のしめつけられる様な思いが致しまして、夜床に入りますと涙がひとりでにこぼれて来ますの。
 どんな最悪の場合でも私の心はきまっておりますけれど、まだ生まれこぬ幼き者に対しまして、かわいそうとも何とも、涙が先立ってしまふのでございます。上4人の子供は大きなお父様の愛をよく存じておりますけれど・・・・・。一生懸命御無事なおかえりをみんなでお祈り申し上げておりますので、不安なことはお考えますまい・・・・。(中略)

 うちの子供達は昨年今頃考えておりました以上によい性質になって、成績もよくなってくれますので、この仕事を始めた事を一層ありがたく思っております。何しろ母が1日家をあけませんし、学校からかへりましても早速おやつなど用意して迎えてやりますので、安心しきっている様でございます。

 それから家の方でございますが、又々無談の様になってしまひまして申し訳ないのですが、いろんな事を考えましてやっぱり売ることに致しました。話も次々あるのですが、貸家時代はもう終わりました様で、売れましたら貴方のお名で土地でも買っておくつもりでございます。父上も大分弱っていられますし、その方がよいと思いますのよ。


 幼稚園の申込みは相当多うございまして60名を過ぎると思います。 お産もいつか分かりませんが、とにかく凡てに全力を尽くしてまいりますから、どうぞご安心遊ばして下さいませ。

 ただただ御健在を祈り上げます。                
                         かしこ    芳子                                                                             
               
               (戦没船を記録する会会報第
15(1997年発行)より)

:栄()興丸=3,535総トン、太洋興業
 昭和18年10月27日ポナペ発、30日クウェゼリン着、12月5日米軍機の猛爆撃を受け、沈没は免れたが航行不能となる。その後の詳細は不明だが、度重なる空爆により19年1月30日沈没(位置:09-00N 166-30E ラエ環礁東方32km付近)、乗組員46名全員戦死したとの見方が有力である。なお、写真は残されていない

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