貨物船「漢城丸」

　　　　　　　貨物船　「漢城丸」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　伊藤伸顕（高知市）
漢城丸

　佐伯湾に、高速新鋭の大型貨物船から本船のような巡航速度７ノットというボロ船まで含め、１０数隻からなる陸軍輸送船団が結集した。
　　汽船「漢城丸」　近海区域
　　　　　主機　　　　三聡成レシプロ蒸気機関　１,１００馬力
　　　　　巡航速度　　７ノット（約１３キロ／時）
　　　　　乗組員　　　船長以下士官１１名、普通船員４２名
　　　　　船令　　　　２５年

　カンカン(鉄鎚での錆落とし作業)をやって、錆が落ちると穴があくほどの老娘である。もともとはノルウェー生まれの金髪娘であったそうだが、我が社に買い取られてからすでに１０数年たっていた。
　大阪支社で貨物船「慶安丸」から転船(乗船勤務替え・転勤)を命ぜられ、木津川尻の名村ドックで初めて本船にお目にかかった。船型の古さもさることながら、まるで赤錆びた鉄塊ではないかと思われるほどのボロッチィ三島型の貨物船(*1)であった。

　雑然とした赤錆っぽいドックの風景とまったく同化している。ヒョロ高い煙突と、その両サイドに突っ立っているキセルのお化けのようなベンチレーター(通風・換気筒)ばかりが馬鹿に目立っていた。
　朝鮮郵船といえば、朝鮮では名門船会社であるが、その持ち船は呆れかえるばかりの代物であった。
　「慶安丸」は同じ２千トン級であったが、客室を持つ定期航路のスマートな貨客船であった。大いに気に入っていたので、この裏日本航路のトランバー(不定期船)「漢城丸」を見たときは会社の人事部を呪った。

　本船は宇品と門司港で船腹に満杯の貨物を搭載した。１番・４番ハッチ(船倉)にはドラム缶入りの航空燃料、２番・３番ハッチには５０キロ爆弾を含む弾薬、砲弾の類、各ハッチの上層には食料品、衣料品、医薬品と喫水線ぎりぎりまで積み込んでいた。

　宇品では船首楼に木枠の砲座が作られ、陸軍の野砲が一門搭載された。艦船用の大砲は砲身の旋回が本命だが、この大砲は陸戦用の野砲なので、駐退復座装置が砲架に固定されている。それをそのまま車輪ごと砲座に固定したのである。要するに砲身の仰角は可変だが、左右には振れないというけったいな大砲で武装して頂いたのである。
　乗員一同は首をかしげた。しかし、今まで丸腰で修羅場を航海してきたことを思えば、たとえ左右に首を振らなくても、格段の力強さを覚えたのも事実である。

　その野砲とともに坂本兵長以下４名の陸軍砲兵が乗り組んできた。船員用には捕獲品のイギリス軍小銃１０丁とチェコ製の液冷軽機関銃２丁と千数百発の弾丸が支給された。
　低速の本船は船団(*2)最後尾へ２隻の千トン級の貨物船と共に配置された。仄聞であったが、船団番号の早い優秀な船には、満州から南下してきた旭兵団を満載しているという噂であった。常々出発当日まで行先不明の軍極秘命令で運用されている我々には、その真偽のほどは定かではなかった。

昭和１８年１０月３０日

　低気圧の接近で天候は朝から荒れ模様であった。夜陰に乗じて豊後水道を抜けるべく、早朝６時、１２隻の船団は次第に強まる風雨をついて錨を捲いた。
　佐伯湾から一路パラオへ。直線距離にして約３千キロの航海だが、対潜防衛上「之字航法」をとるため、実際の航海距離は４千キロ近いものになりはしないだろうか。船団速度８ノットとして１１～１２日間の航海である。
　船団位置秘匿のため無線は封鎖された。一切の電波の発射を禁じられたのである。攻撃されようと、撃沈されようと、SOSすら発信できないのである。たとえ沈没を免れたとしても、航行不能になれば乗組員ともども見捨てられてしまう。まさに消耗品扱いを覚悟の航海である。

　戦時物資を満載した商船は、船足が深く速力も遅い。攻撃されれば運を天にまかせて逃げ回り、無事逃げおおせるか、天運味方せず海底の藻屑と消え去るかのどちらかであった。
　当直(勤務)の通信士は専らJCS（銚子海岸局＝船と通信する陸上無線局）より定時放送される短波帯の対潜情報、気象通報、中波の５００キロヘルツによる船舶のSOS、各海岸局の緊急・安全通報等の受信、ラジオ放送による空襲警報等々、全神経を耳に集中して情報の収集にあたった。

　夜半、豊後水道を出る頃には暴風雨になっていた。船はガブッた。無線室で当直の局長と私は、使用暗号書の準備等をすませ、「之字運動表」にあらかたの本船の航路予定位置と日時の書き込みを検討していた。
　「づしん」と鈍いが妙に船全体へこたえるような衝撃がきた。思わず顔を見合わせた。
「づしん」と再び。ブリッジで点鐘(時刻を継げる鐘)が乱打され、総員配置の非常呼集がかかる。私には初めての体験であった。

　即座にルームランプを非常灯に切り替えると、無線室のドアーをあけた。「ガーﾂ」と吹き込む暴風雨とその暗闇の彼方、船首１１時方向の海面に赤い炎、１時方向には一条の火柱。その瞬間また火柱。
　「づしん」身の毛がよだち、サッと血が引く。雷撃だ。「局長！」と叫ぶなりドアーノブを引き戻したが、手指は奇妙にこわばっていた。
　「づしん」、確認のためドアーを細めにあけた。船団の先頭部と思われるあたりに、すでに４筋の火炎が上がっている。なかの一つは船影が浮かぶほど燃え上がっている。
　局長は無言のまま業務日誌に何か書き込んでいる。また衝撃が走る。機関場のテレグラフが「ガラガラ」鳴っている音が、無線室の横のベンチレーターから悲鳴のように駆け上がってくる。

　時間は停止した。自分の心臓の鼓動だけがやたら大きい。「づん」「づん」やがて掃海艇か駆潜艇の爆雷攻撃が始まった。
　船首１１時方向の火炎は、船団の外周で護衛に当たっていた掃海艇であろうか、最初の一撃で血祭りにあげられたようである。
　エンジンは全速力で回転し始めていた。コロッパス(機関員)はバンカーハッチ(燃料庫)の底の底で懸命に、ボイラー室へ石炭を掻き出す。ファイヤーマン(操機手)は必死の思いでボイラーの火床へ石炭を放り込む。「ゴンゴンゴンゴン」というエンジン音は船全体を揺すった。

　「次席、ワッチ！」、局長は椅子を立つと、出航前からの対潜情報をつかみ、雨合羽を被り暗闇の嵐のボートデッキ (ボート甲板) へ出ていった。
　私はかがみこんで、送信機の下のロッカーから暗号書の収納袋を引き出した。キャンバス製の信玄袋だ。その中には１０数冊の陸海軍の暗号書と１０キロあまりの鉄塊がいれてある。底には５つ穴があいていて、一旦緩急あれば海中投棄しなければならない。その処理は次席(二等通信士）が負っている。

　ふと気がつくと、かがみ込んだ私の膝頭がガタガタ小刻みに震えている。体中の関節は凍えたようにこわばり、身体全体が石のように固い。
　暗号書の袋をソファーの上にかかえあげると、無線室とは反対の右舷デッキのキャビンへ走った。灯火管制のキャビンは暗い。ロッカーを探り、ユニホームを着用し制帽と救命胴衣をひっつかみ、無線室へとってかえした。
　暗黒の嵐の洋上、幾筋もの火炎地獄のなかで船団はもがいていた。

　佐伯湾に商船が結集していることは軍極秘のはずであったが、その出口で待ち受けていたのは敵の潜水艦群であった。
　ブリッジでは、航海士・機関長・局長に対して船長の意見が伝えられた。「船団離脱、高知港へ一時退避の上船舶司令部の指示を待つ」というものであった。
　無線を封鎖された船団を再統率することは不可能である。あとは各船、各自の判断による自衛航行しかない。航空燃料に爆薬という物騒な貨物を満載している本船は、一発でも食らおうものなら轟沈である。

　足摺岬をかわし、土佐湾の奥の高知港までは約６０マイル、スクリューは全力で回転しキール(船の竜骨)を軋ませながらよろめき走った。
　夜明けには早かった。高知港の入り口は狭く浅い。港口の旗号所に対する発光通信は危険である。チャート(海図)による水深判定も、本船の船足(水面下の深さ)からすればパイロット無しでの入港は危険極まりない。
　やむを得ず桂浜沖を巡航し夜明けを待った。そして白々と明け時、手旗連絡により高知港へは潮回りと船足の深さで、入港できないことが判明した。

　サロン(職員食堂)に当直をのぞく全士官が召集された。
１、種崎（桂浜の東対岸、外洋へ開いた砂浜で高知市民の海水浴場でもある）の陸岸に極力近づけ
　　仮泊し、上陸のうえ連絡、運航指示を待つ。
２、軍の命令を受けている以上、単騎独行でもパラオへ行くべきである。
　１の選択は、いかに陸岸近くとはいえ、外洋でアンカーを打つことになる。扇形に太平洋へ開いた土佐湾はすでに危険海域に指定されていた。
　おのずから結論は２の選択となった。

　昨夜来の嵐の太平洋は波頭に白波を押し立てながら、大きくうねりにうねった。船団は四分五裂したのではなかろうか、とても船団を保っているとは思えなかった。
　１２隻の陸軍の輸送船団の護衛に、海軍が派遣したのは僅かに１隻の掃海艇と３隻の駆潜艇であった。すでに掃海艇は撃沈されたはずである。
　甲板員には全員見張りの命令がだされ、「之字運動表」上の予定航路へ戻るべく南下をはじめていた。気の毒なのは船砲隊員であった。交代で船首の砲座にしがみつき、激しい船酔いの嘔吐を繰り返しながらも見張りについていた。

　すでに３日目である。黒潮本流のど真ん中、青黒い潮の背は輝く朝陽を跳ね返し、のどかに長大なうねりでゆっくりうねっている。穏やかな航海である。あの夜の恐怖が嘘のように思い出される。機関場では機関士が、煙突から出る煙の色を極力薄くするようファイヤーマンを指揮していた。

　ただ１隻の船影も見えない。
　「之字航法」の転舵のたびに船尾楼のステアリングエンジンが白い蒸気を上げながら「ガラガラガラガラ」まわっている。当直は通常のワッチに復帰したが、見張りだけは非常の機関員も含め６名を増員した。
　「右舷水平線煙り」ブリッジ屋上の見張員が叫ぶ。
　航海士は対空双眼鏡にとびついたが、それは煙とも雲とも判別しかねた。やがてはっきりと水平線の背景から浮き出てきた確かな１筋の煙であった。豆粒ほどの船影が現れるとぐんぐん近寄ってくる。双眼鏡による手旗が交わされる。

　山下汽船所属「愛媛丸」、船団番号の若い４千トン級の高速貨物船であった。本船のリギンに旗流信号が上がる。
　「貴船に先導を願う」「了解」
　やがて本船の右舷１００メートル程の所を悠々と追い越してゆく。スマートな美しい船だ。ブリッジやメーンデッキ(主甲板)にいる両船の船員は、お互いに笑顔で手をふりあった。やっと僚船と出合った、乗組員の顔には何か晴れやかな安堵の色がみなぎった。

　相前後した両船の間では、航法の打合せが手旗によって交わされた。その時、「グオーン」大音響とともに愛媛丸の船腹に巨大な水柱がたった。点鐘が乱打され船内は騒然となる。
　「左舷９０度雷撃」メーンマストの見張りが叫ぶ。
　「取舵一杯」操舵手は舵輪をぶんまわす。
　航海士は全速前進にテレグラフを引き立てる。
　ステアリングエンジンは狂ったようにまわる。
　魚雷の航跡に向け船首をたてなければならない。
　船砲隊員も全員砲座に駆け上がっていた。
　全速で１０ノットが精一杯の貨物船の転舵反応は鈍い。水中速度２～３０ノットの魚雷をかわすには、少なくとも１マイル以遠で雷跡のあぶくを見つけなければならない。

　魚雷は、何とか左舷をやりすごす。
　「愛媛丸」はすでに船尾を海中に没していた。
うねりに見え隠れする２隻のボートに乗組員が乗り移っている。
本船のリギンには「貴船を救助す」の旗流信号が揚げられた。
面舵を取り、ボートへ向け転舵を始めた本船へ、また一条の雷跡。取るものもとりあえず船首を立て直す。

　「愛媛丸」の船首は既に２０度程に持ち上がっている。こうなるとあとは時間の問題だ。
　左舷３０度、更に雷跡。
今度は明らかに本船が標的だ。
発射方向へ向けて突っ走るしかない。
また一条の雷跡。もはやボートの救助どころではない。
救助の旗流信号は「本船は待避す」に変えられた。

　その時である、愛媛丸は、３分の１ほど出ていたブリッジの窓という窓から「ブオーッ」と水煙が吹き上がると同時に船首が持ち上がり、あっという間に引き込まれてしまった。その渦やちぎれたワイヤーの類や、海面に飛び上がってくる浮遊物に、ボートが巻き込まれないことを祈るしかなかった。チャートルームでは２等航海士が愛媛丸沈没の位置、日時を記入した。
　さらに３本の魚雷攻撃をかわし、ジグザグに逃げまどう本船は、チャート上のどこをどう走っているのか見当もつかなくなっていた。

　やがて雷撃はやんだ。敵潜水艦から無事逃げ切れたのであろうか。張り詰めた緊張感の周囲を時間だけが静かに流れていった。
　「船尾にステッキのようなものが見えます」とデッキ見張員の報告。船長はブリッジ見張りの横で双眼鏡を当てる。
　「セッ、潜望鏡」
　点鐘は乱打され総員配置についたが、まもなく潜望鏡は水没した。尾行されている。その間魚雷攻撃はなかった。すでに７本の魚雷が発射されている。撃ち尽くしたのであろうか。
　レシプロエンジンのリズムは人間の心臓の鼓動によく似ていた。不気味に流れる時間の底で、この鼓動がいつ止められるのか、海面下の機関場で当直に立つ機関士や油まみれのボイラーマン、褌１つで目ばかり光っている炭達磨のようなコロッパス、船底の恐怖を耐えに耐えている。

　敵潜水艦はどう出てくるであろう。丸腰同然のこのちっぽけなボロ貨物船を撃沈するには、浮上して砲門を開けば、ほんの２、３発で形がつくはずだ。
　そのとおりであった。右舷前方４０度、半浬程のところに再び潜望鏡発見。それは次第にのびあがる。やがて、ヅヅーと指令塔が浮上し始めた。
　「砲戦！」　船長の号令一下、本船は敵潜水艦に向け船首を立て直す。もう逃げることはできないのだ。逃げに転ずれば本船には戦う武器は何もないのである。
　野砲が火を吹いた。着弾は手前洋上に水柱。船はうねる、照準はそのうねりの中の一瞬でしかない。４名の船砲隊員は必死で砲火を浴びせるが、着弾は向こう・手前と歯がゆいばかりに命中しない。

　潜水艦は全身を浮上させた。もはや乗り切るしかない。「全速前進！」船長は怒鳴った。
　一直線に船の軸線を立て直し、２千トンのボロ貨物船は全力を振り絞り、砲門を開きながらよろめきよろめき突っ込んだ。潜水艦まではまだ３・４浬はあろうか、ただひたすら突っ込んだ。もう生死を考えるような状況ではなかった。誰もが未経験の事態に立ち向っているのだ。
　そのときである。敵潜水艦の指令塔の下あたりで「ボワッ」と黒煙が炸裂する。「やったー！」思わずうわずった歓声があがる。至近弾が水しぶきをあげる。弾着は次第に精度を上げてきた。再び至近弾。天佑神助は吾にあったのである。敵潜水艦はそれを機に音もなく潜行していった。
　まさに真日中の悪夢であった。

　艦長の自爆の決断。
旋回しないただ１門の火砲と４名の砲兵。　
その戦いにしか託しようのない全乗組員の生死。　　
　固唾をのんで見守る乗組員の身も心も凍てつくあの臨戦感は、何をどう説明しようにもそこに言葉はなかった。

　本船は愛媛丸のボートの救助に反転した。無線室からはボイスチューブ(通話管)でJJY（標準周波数・時刻放送局）のタイムが送られ、天測がはじまった。自船位置の確認、そして「愛媛丸」の沈没位置を中心に日没まで捜索が続けられたが、ついに遭難ボートを発見できなかった。
　彼らを救助できなかった悔恨は深い。大洋のど真中で放り出された木っ葉のようなあの２隻のボートの末路は想像に難いことではなかった。願わくば黒潮にのり本州沿岸へ漂着されんことを祈るしかなかった。
　日は没し、水平線の茜もすでに消えた。蒼空に星が瞬きはじめる。果たさなければならない任務がある。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（戦没船を記録する会・会報第1３～１４号より)

【事務局注】
(＊1)三島型の貨物船
　　帆船は波に乗って走り速力も小さいが,汽船となれば風波の状態を問わず大きな速力で波をけって進むから,荒天の際船首甲板は波に洗われて仕事ができない。それで船首を一段高くした船首楼 (Forecastle; F'cle.) ができた。これは波をしのぐとともに,海賊横行時代大砲を据付けるのに好都合だったので,前砦 (Forecastle) と名付けられたものである。船尾には船の生命を托する舵取部があり,それを保護すると同時に,追波を防ぐために船尾楼 (Poop) ができた。船の中央部では機関を保護するため,船橋楼 (Bridge 古くは Middle castle) ができた。このように船首楼,船橋楼,船尾楼を持った船を三島型という。
(＊2)船団
　語彙としては｢隊を組んで航海する２隻以上の船の集団｣ですが、ここでは、太平洋戦争中、制海権・制空権を失った日本が、皆無に等しい味方護衛力の下で少しでも輸送目的を達するため、輸送船を２隻以上の集団で航海させた船の集団を指しています。